水戸学の特色と影響
水戸学の特色としては、第一に、『弘道館記』に「学問・事業、その効を殊にせず」といい、また「文武岐(わか)れず」と述べているように、学問と政治的実践との一致を目指した点があげられ、したがってその学問の内容は、従前の日本儒学とは異なり、政治的にも道徳的にも現実性の濃厚なものとなった。
日本の固有思想としての神道ないし国学と、儒教思想との結合がはかられたのも、そのためであって、道徳観念は抽象的な理論の形ではなく、具体的な歴史上の事実を通じて説かれ、「孝」を道徳の基本とみる儒学に対して、「忠孝二無し」という日本的な道徳観念が強調された。
第二には、政治上の問題を、一藩の規模においてではなく、常に日本全体の国家的な立場から考察しようとした点が注目される。
これは水戸藩が御三家の1つであるところから、中央政府たる幕府と運命をともにする意識が強かったことに基づいており、斉昭の幕政関与も、同じ意識から出たものであった。
水戸学の尊王思想
したがって水戸学の尊王思想は、幕府と対立する性格のものではなく、天皇の伝統的権威を背景として、幕府権力を強化し、幕府を中心とする国家体制の強化をはかろうとするのが、その本来の意図であった。
しかしまた逆に、水戸学が幕府権力の擁護を意図した点から、これを保守的な政治思想にすぎなかったとみるのも誤りであって、水戸学の目指したものは、現状維持ではなく、幕府を中心とした政治改革により、対外的ならびに対内的な国家の危機を克服することであった。
開国後に幕府がこの期待にこたえないことが明らかになったとき、尊王攘夷思想は反幕府の性格を帯び始めるが、そのような可能性は水戸学には最初から含まれていたと考えられる。
その意味では水戸学は、近代日本における国家主義思想の主要な源流をなしたものとして評価されるべきであり、実際にも、これを信奉した吉田松陰(1830〜1859)らを通じて明治政府の指導者たちに継承され、天皇制国家における国民教化政策(その具体例としての「教育勅語」)や、その国家体制の思想的支柱をなした「国体」観念などのうえには、水戸学の顕著な影響が認められる。